題名 生きがいの創造著者 飯田史彦 様 定価\1,500
![31107005[1].jpg](http://naigaiself.co.jp/mt/31107005[1].jpg)
P126ページの本文より引用。
-----人生設計のしくみ------
私たちの人生計画を、研究者たちの成果にもとづいて、私なりにわかりやすく
表現してみると、次のように説明することができるでしょう。
私たちは、自分で自分に与えるべきいくつもの問題(人生の課題)が、人生の
最適な時期に生じてくるように、いわば「自動発生装置」をしかけておきます。
その問題が生じた時に、「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」を選ぶか
逆に「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」を選ぶかという、大きく
二通りの選択肢を用意しておくのです。それら多数の問題のそれぞれの選択肢を
分かれ目として、私たちの人生は、まるでフローチャート(枝分かり図)のような
しくみになっているのです。
そして、その問題に直面した自分が、ここで、「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」
で対処することを選ぶことができた時、私たちはその問題をみごとに解いたことになり、
成長の階段をひとつ上がることができます。もしも、そこで
「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」を選んでしまった場合には、
依然としてその問題は残ったままで、さらに厳しい試練に直面するようなしくみを
用意しておくのです。
したがって、次々とあらわれてくる問題に対して、つねに
、「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」
で対処するよう心がけていれば、その人生は
どんどん楽しい方向へと進んで行き、自分を助けてくれる温かい人々が不思議なほど
次々にあらわれ、充実しきった人生になっていきます。しかし、いつも
「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」で対処してばかりいると、緊張
争い、疑い、敵意に満ちた方向へと進んで行き、転落と苦難につながる事件が不思議
なほど次々におそってきたり、自分を守ってくれる人々が次々に去っていき、厳しく
さびしい人生になっていくのです。
このような現象のことを、私たちは、「運が良い」とか「運が悪い」とか呼びますが、
「運」というのは、こうして自分自身で用意しておいた「ごほうび」や「試練」を、
自分でえらんでいるということなのです。
これらは、すべて生まれる前に計画ずみのことであり、
「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」で対処した場合にあらわれてくる温かい
人々も、「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」で対処した場合に冷たい
態度をとってしまう人々も、みな「ソウルメイト」(魂の友)です。
それぞれのソウルメイトには、生まれる前に、「自分がこのような言動をとったら、
あらわれてくれ」とか、「自分がこのような言動をとったら、こう対処してくれ」という
お願いをしておきます。相手の人間は、その時、
「どうしてなのかわからないが、なぜかそのような態度をとってしまう」というかたちで
自分の人生計画に協力してくれるわけです。
その意味では、のちほどくわしく説明しますが、自分に協力してくれる人も、
自分と敵対している人でもすべて大切なソウルメイトなのです。
敵対している人でさえ、たまたま今回の人生では、「自分が間違った選択をした場合
に警告を発してくれる役割」をになってくれている場合がすくなくありません。
もちろん、相手の人々もみな、自分の人生設計を生きているわけですから
「だかいに良心的解決を心がけた場合」「一方だけが良心的解決を心がけた場合」
「たがいに良心的でない解決を心がけた場合」など、いくつもの問題解決状況に
応じて、事態の展開を計画しておくこともあるわけです。
-----動機こそが大切------
「自分が何をしたかということよりも、なぜそうしたのかということの方が、はるかに
重要だということに気づきました。例をあげれば、人生の回想のなかで、理由もなく
他人をなぐりつけた時の方が、相手からけんかをふっかけられたために、しかたなく
やり返した時よりも、ずっと胸がいたみました。
おもしろ半分にだれかを傷つけている自分の姿を思い返すのが、何よりもつらい
ことでした。何か理由があったうえで、やむをえずだれかを傷つけてしまった時の
ことを思い返す場合は、それほどつらい思いはしなくてすむのです」
この証言からもわかるように、私たちが予定どおり問題に直面して解決を迫られた
場合、そこで「正解か、不正解か」を決めるのは、「なぜ、そうしたのか」という
動機の質であるようです。
私たちがとる言動の動機(理由)が、「相手を傷つけようとする意図的な悪意」で
あった場合がいちばん「不正解」であり、「おもしろ半分の悪意」も、やはり
「不正解」です。「悪意はなかったが、しかたなく相手を傷つけた」という場合には
結果として「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」ではないため「正解」とは
いえませんが、はっきり「不正解」というわけでもなさそうです。
「3/7日 エントリー ブログ 参照。」
ここにも同じ考えを書いてありますのでご覧になって下さいませ。
