今月はインド特集でございます。
私は正月見聞を広めるため、これから発展していくであろう
インドに行ってまいりました。
そして私の小さな夢がまたひとつ叶うことが出来ました。
私は生きている間にどうしてもお釈迦様が悟りを開いた
菩提樹とガンジスをこの目で確かめたいと思っていました。
それが現実となったのでございます。

はるか遠い昔、お釈迦様はこのインドの地で王子として誕生しました。
そしてご存知のとおり仏教という教えを広めたのでございます。
昔西遊記というテレビ番組がありました。ゴダイゴのガンダーラは
今聞いてもいい曲です。
そこに行けばどんな夢も叶うというよ
誰も皆行きたがるが遥かな世界 そのお国の名はガンダーラ
愛の国ガンダーラ

何不自由なく育った王子釈迦は、少年期を過ぎ、言い知れぬ
思いに駆られていきます。
人はなぜ生まれ、死んでいくのか。そして老いて苦しみ
病の淵に落ちていく人間がいるのかを真剣に考えていきます。
お釈迦様のすごいところは、生まれながらに何不自由ない
暮らしをしているのに不自由に生きる人間の立場で物事を
みてきたところにあると思います。
私が金持ちで裸の王様でいたのなら、そんなことは微塵も
思わずに快楽に落ちるとこまで落ちていくでしょう。
だから私は金持ちの星の下に生まれなかったのです。
私の両親の環境で生まれたからこそ、このインドの地に
言い知れぬ思いが芽生えたのです。
上の写真は日本政府が建立した寺院の中にある壁画として
お釈迦様の生涯を描いてあります。
日本の画家が残したもので、戦前の作品ですが、傷みも少なく
奇麗に保存されていました。
その中の一場面。苦行に耐え、身も心も弱り果てたお釈迦様は
美しい乙女スジャータからミルクをもらい、甘くて暖かいおいしい
ミルクを飲み干した後、この菩提樹の下で悟りを開いたのでございます。
そして今。私はその同じ空間に来ることが出来たので
ございます。感動ものです。

ところがインドには、その思いはありません。仏教の国ではないのです。
神の国バラモン・ヒンズー・シバの3大神の国なのでございます。
ですから、この寺は、異国チベットの僧侶がお守りしているのです。
偉大な人とは死んだ後にでも心に残るものだと思います。
生きている間に賞賛を浴びても死ぬときは一人で死んでいくのです。
善い人は徒党を組まないのでございます。だから善人なのです。
善党とは言いません。
徒党を組んで一人で何も出来ないのが悪人なのでございます。
だから悪党といわれるのです。

上の写真が菩提樹の下で5人の弟子たちの前で始めて説法を
語り座した跡でございます。
思わず手を合わせた私がそこにいました。

こうしてブログをかりて宗教の話をすると、初めて観てくれた方に
お前はどこかの宗教の回し者かと思われるのも私の本意では
ありませんので、そういう観点から見て欲しくはありません。
そうではなく、生きている間に会いたい人、行きたい場所に行って
自己実現できること、そしてそれは思えば叶うことを共感して
いただきたい気持ちで書かせていただきました。
今日も長くなってしまいましたが、ご拝読誠にありがとうございました。


お釈迦様が悟りを開き説法を説いた菩提樹の下。

5〜6世紀につくられ、後に改修され今のような
巨大なものになったダメーク・ストゥーパ (仏塔)
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