
今日は午後から雲行きが怪しくなり雨もぱらついた日でした。
現場点検で車で移動中、太陽を隠したどんよりとした雲の切れ間から
オーロラのカーテンのようなきれいな日差しが私の瞳を留めました。
なんて奇麗なんだろうとアクセルを止め外に出ました。
私のデジカメでは臨場感をお伝えできませんが、西洋の芸術絵画の
油絵に出てくる色彩を感じました。
まだ私には何気ないこのような景色をきれいだと意識できる
心に美しくそして豊かな感性があることを改めて感じさせていただいた
3月6日でございました。
「原点に帰る」を今年のテーマにしている今日は去年のブログ作品に
帰るということでひとつの作品を紹介します。
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【 06/10/7 エントリー No.214 才能あるゆえに 】
昨日の祈りが天に通じたのか秋雨からすがすがしい秋晴れとなりました。
現場周りで一日が終わってしまいましたが、昨日の雨で仕事が延びたことを
思いますと、晴れて何事も無く仕事ができることは、感謝の念にたえません。
愛車の軽ちゃんを飛ばしながら、あまりにも透き通った青の空と綿菓子のような
白の雲を眺め、カーラジオから流れる音楽を聴いていました。

その時、昨日の【 10/6日 エントリー No.213 I`m A Fool To Want You 参照 】話の中でビリーホリデーの話をしましたが、今日はその続きで 【才能あるゆえに】 と題しまして話をさせていただきたいと思いますので、ご拝読の程よろしくお願い申し上げます。
先日テレビを見ていて、画家の名前を忘れてしまいましたが、現代アーティストで30代前半でお亡くなりになった画家の才能を感じたコメンテイターがこう述べました。
「この画家はとてつもなく繊細で感受性に飛び、それゆえに現実の人間関係の矛盾にとてつもなく苦しみ悩み葛藤していたと思う。そう思うと私なんかちゃらんぽらんだからそこまでの視線で物事を感じてこれなかったことに逆にちゃらんぽらんでいられたことにほっとしている。その苦しみを全部この画家が背負ってくれたような気がするんだ」と言っていました。テレビの画面からのことですので上手く伝わらないかと思いますが、何を言いたいかと申しますと、本物一流を追求する才能を持つということは、他人からは賞賛されたり尊敬されたりしますが、そこには悩みと絶望感からくる苦しみを背負って生きていかなければ
いけないのかもしれないということです。

私も若いとき、才能があれば人に注目を浴びて、女の子にももてて言うことないだろう
と思っていました。この歳になって、私は才能が無いことのほうが良い様に思っています。
人を感動させる絵も書けない。
人を気持ちよくさせる曲も書けない。
人に納得させる気のきいた文字も書けない私がここにいますが、
才能ある画家の描いた絵を観て強く感動するし
才能ある作曲家の曲を聴いて涙を流すこともできる
才能ある作家の文章を読んで希望を感じることができる私は
才能ある人間と対等であることに気づきました。
本当の幸せとは苦しくもがきながら生きていく中から感じていく
ものかもしれません。
世間では楽しさを求めて、暗さを意味嫌います。
今日のような晴天で光を何不自由無く浴びていられれば、一本の
マッチの火は目立たないかもしれません。
しかしこれから寒くなる冬の夜、外灯もなく 人の姿も無く
真っ暗闇の中から現れる一本のマッチの光はなんともいえない
温かさを感じさせてくれると思うのでございます。
感じることが私であり、一本のマッチの火が才能なのかも知れません。

ビリーホリデーも亡くなった若き画家も才能あるゆえに、悲しみと苦しみ
を天から授かりそれを体験することにより自分の悲しみ苦しみを唄に変え、
アートに変えて後世の私たちには、同じ体験をさせなくても文化に触れることによって
生きることの素晴らしさと絶望感を気づかせようとしてくれたのかもしれません。
才能あるゆえに・・・・・



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